こんにちは。KIZUKIドラム教室 講師の豊田です。
ドラムを始めた人が最初に練習するビートといえば、多くの場合こんな形ではないでしょうか?
今やポップスでもロックでもおなじみのリズムです。
でも実は、ドラムセットがこんなフレーズを刻むようになったのは、ここ70年ほどのこと。バスドラム、スネア、ハイハットの「基本の3点」がそろってからも、まだおよそ100年しか経っていません。
しかもその誕生の裏には、思わず誰かに話したくなるエピソードがいくつも隠れています。
- バスドラムを足で踏むようになったのは、ある奏者が「サボった」から?
- ジャズに欠かせないブラシの正体は、なんと「ハエたたき」
- ハイハットは、一人の観客のひらめきから生まれた
この記事では、ドラムセットが生まれてから今の形になるまでの道のりを、実際の演奏と当時の資料を交えながらたどっていきます。
この記事でわかること
- ドラムセットはいつ、どこで生まれたのか
- バスドラムのペダル、ブラシ、ハイハットが生まれたきっかけ
- 「ビッグ・フォー」「セカンドライン」とは何か
- 「トラップドラム」「ハイハット」という名前の由来
ドラムセットは「足し算」で生まれた楽器
最初にお伝えしたいのは、ドラムセットはある日突然、今の形で生まれたわけではないということです。
生まれた場所とされるのはアメリカ。世界各地からアメリカに集まってきた打楽器を、その時代の音楽に合わせて一つずつ足していった結果が、今のドラムセットなんですね。
では、最初の「一つ目」は何だったのでしょうか。
【1865年】ドラムセットの始まりは、南北戦争後のニューオーリンズ
物語は1865年、アメリカ南部の港町ニューオーリンズから始まります。
この年、南北戦争が終わりました。戦争中に軍楽隊が使っていた楽器は質屋などに大量に流れ、比較的安く手に入るようになります。号令や行進に使われていたバスドラムやスネアドラムも街に出回り、民間でもマーチングバンドやブラスバンドが次々と生まれました。
吹奏楽やクラシックで、こんなドラムを聴いたことはありませんか?
スネアドラムは、もともとヨーロッパから来た楽器です。「マーチ」は行進のこと。軍隊の隊列を整えたり、合図を出したり、士気を高めたりするのが役目でした。
奴隷制度が廃止されたあと、仕事を求めた黒人の人々が、こうして手に入れた楽器で演奏の仕事を始めたともいわれています。

この時点では、太鼓は「一人一つ」。バスドラムにはバスドラムの、スネアにはスネアの奏者がいました。ところが、ここから大きな変化が起きます。
【1890年代】一人で二つの太鼓を叩く「ダブルドラミング」
ブラスバンドの中から、バスドラムとスネアドラムを一人で演奏する人たちが現れます。これを「ダブルドラミング」といいます。
当時はまだ、スティックだけで演奏するのが主流でした。スネアスタンドもなかったので、スネアドラムは椅子に立てかけるように置いていたんです。

足でバスドラムを鳴らすペダルのアイデア自体は、この頃からありました。ただ、まだ広く普及するほどの完成度ではなかったようです。
両手がふさがったままの「一人二役」。この不自由さを解決するカギは、まだ少し先にあります。その前に、同じ時代に流行し始めた音楽を見ておきましょう。
【1890年代】ラグタイムの流行と「はねる」リズム
同じ頃、マーチなどの西洋音楽に、黒人独特のノリでシンコペーションを強調した音楽が流行し始めます。踊りやすさを重視した、ラグタイムです。
起源は、酒場などで黒人のピアニストが演奏したピアノ音楽とされています。ピアノの左手で「ブンチャッ、ブンチャッ」と拍の裏を強調し、それまでの西洋音楽にはあまりなかった、はねたリズムを打ち出しました。
スネアドラムで表現すると、こうなります。

このラグタイムが流行し始めた頃、ニューオーリンズで、ドラムの歴史を大きく動かす人物が登場します。
【1896年ごろ】バスドラムのペダルと、ディー・ディー・チャンドラー
その人物が、ニューオーリンズで活動していたドラマー、ディー・ディー・チャンドラー(1866〜1925)です。バスドラムを足で踏むスタイルを広めた人として知られています。
チャンドラーは、木のブロックやバネ、チェーンなどを組み合わせた手作りのペダルをバスドラムに取り付け、足で鳴らせるようにしました。
理由はどうあれ、このスタイルは大きな話題を呼び、チャンドラーは人気ドラマーになりました。1896年ごろに撮影された写真には、ペダル付きのバスドラムと一緒に写るチャンドラーの姿が残っています。ドラマーとペダルが一緒に写った写真としては、最も古いものの一つです。


足でバスドラムが鳴らせるようになって、両手が自由になった。そこで、床に置いたバスドラムの上にシンバルやカウベル、ウッドブロックなどを載せるドラマーが出てきます。最初からタムがずらりと並んでいたわけではないんですね。
こうして生まれたペダルは、やがてある会社の手で、今とほとんど変わらない形に進化します。
【1909年】ラディックが作った、今と変わらないペダル
1909年、アメリカのウィリアムとシオボルドのラディック兄弟がラディック社(Ludwig & Ludwig)を設立し、バスドラムペダルの特許を取得します。これが、商業的に成功した最初のバスドラムペダルとされています。
スプリングで戻る仕組みや、ビーターの取り付け方。今のペダルと比べても、基本の作りがほとんど変わらないことに驚かされます。

一方で、今とは違うところもあります。
- ビーター:今より大きく、羊毛(ラムズウール)を使ったものもあった
- バスドラム:26インチや28インチが当たり前で、さらに大きなものもあった(今の主流は22インチ)
- 見た目:かなり華奢。移動して演奏する際に、持ち運びを楽にするための工夫だったともいわれる
この「持ち運びやすさ」の発想は今も生きていて、コンパクトなトラベルキットとして商品化されていますね。
さて、ペダルが整ったことで、ドラマーにはまた別の悩みが生まれます。それは「音の大きさ」でした。
【1913年】ジャズのブラシ、その正体は「ハエたたき」
今ではジャズに欠かせないブラシ。その原型が何だったか、想像がつきますか?
答えは、1913年に特許が取られた針金を束ねたハエたたきです。

スティックの音が大きすぎることに悩んでいた当時のドラマーたちが、これを静かに演奏するための代わりとして使い始めます。そしてやがて、「ブラシ」と呼ばれるようになりました。
▼ 演奏例:ブラシで叩く
最初は、ただ音量を抑えるための道具でした。ところが、ブラシで打面を「こする」奏法が生まれたことで、それまで「点」だった音が「面」になります。表現の幅が、ぐっと広がったんですね。
▼ 演奏例:ブラシでこする
ペダルが生まれ、ブラシが生まれた。ここで少し時間を戻して、この頃ニューオーリンズで生まれつつあった新しい音楽の話をしましょう。そう、ジャズです。
【1900年代〜】ジャズの誕生と、ボールデンの「ビッグ・フォー」
ニューオーリンズでは、マーチやラグタイム、ブルース、教会の音楽などが混ざり合い、1900年ごろからジャズが形づくられていきます。
その中心にいたのが、コルネット奏者のバディ・ボールデンです。

ボールデンは、ドラムの歴史にとっても重要なリズムを生み出したとされています。それが「ビッグ・フォー」です。
▼ 演奏例:ビッグ・フォー
ビッグ・フォーは、4拍目を強調するバスドラムのパターンです。 拍の頭をそろえて刻むマーチから外れた、最初のシンコペーションしたバスドラムのパターンとされています。4拍目のアクセントが、次の小節の1拍目へ向かう推進力を生んでいるんですね。
セカンドラインとは?お葬式から生まれたリズム
ニューオーリンズのリズムを語るうえで、もう一つ欠かせないのが「セカンドライン」です。
この言葉は、ニューオーリンズのジャズ葬式(ジャズ・フューネラル)に由来します。故人の家族や友人、葬儀の関係者、そしてブラスバンドが行列の中心をつくるのが「ファーストライン(メインライン)」。その後ろについて踊りながら歩く人々が「セカンドライン」と呼ばれました。
墓地へ向かうときは、スネアの響き線を外したり、太鼓に布をかぶせたりして、ゆっくりとしめやかな曲を演奏します。
ところが埋葬が終わると、一転してアップテンポの華やかな音楽に。セカンドラインの人々が踊り出します。この華やかなパレードのリズムが、今では「セカンドライン」というビートの名前としても使われているんです。
▼ 演奏例:セカンドライン
1917年、最初のジャズのレコード
1917年、ニューオーリンズ出身の白人のバンド「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」が、最初のジャズのレコードとされる録音を行います。
写真のドラムセットに注目してみてください。バスドラムの上にカウベルやシンバルが載り、ペダルで鳴らすバスドラムと組み合わさっています。ドラムセットらしい形が、少しずつ見えてきましたね。
ちなみに、白人が演奏したこのスタイルは「ディキシーランド・ジャズ」と呼ばれることがあります。黒人のミュージシャンに「ディキシーランド・ジャズですよね?」と言うと、「違う! 俺たちのはニューオーリンズ・ジャズだ!」と返ってくる、という話もあるそうです。
そしてこの1917年は、ジャズにとってもう一つの大きな転機の年でした。
【1917年〜】ジャズはシカゴへ。禁酒法が生んだ大流行
1917年、ニューオーリンズの歓楽街で、ミュージシャンの大切な演奏の場でもあったストーリーヴィルが閉鎖されます。仕事を失った多くのミュージシャンが、大都市シカゴへと移っていきました。
続く1920年、犯罪や貧困を減らし生活水準を上げることを目的に、13年間にわたる禁酒法が施行されます。

ところが法律は十分に守られず、マフィアが仕切るもぐりの酒場が数多く生まれました。人は禁止されると、かえって欲しくなる生き物なのかもしれません。
酒場にはエンターテインメントが欠かせません。よりエキサイティングで新しい音楽が求められ、そこでニューオーリンズで育まれたジャズが大流行したんですね。

写真でドラムを叩いているベイビー・ドッズ。実はこの人、このあとハイハットの誕生の話にも登場します。その前に、同じ時代のドラマーたちが担っていた、少し変わった仕事を見てみましょう。
【1920年代】トラップドラムの由来は「仕掛け」
1910年代から1920年代にかけて、ドラマーは音楽だけでなく、無声映画(サイレント映画)や舞台の効果音も担当していました。
さまざまな効果音を出すために、バスドラムの上にウッドブロックやカウベルを並べ、横にはティンパニや鉄琴まで置く。なかなか欲張りなセッティングですね。
こうした「仕掛け(contraption)」をたくさん載せたセットは、略して「トラップ」と呼ばれました。これが、トラップドラムやトラップセットという名前の由来です。

この頃のタムは、今のように胴の深いタムが並ぶ形ではありません。中国から輸入された小さなチャイニーズタムを、バスドラムに取り付ける程度でした。

1927年ごろから音声の入ったトーキー映画が登場すると、効果音を担当していたドラマーの仕事は減り、このスタイルは衰退していきます。
それでも、自由な発想で何でも叩けそうなところが面白いですよね? 今でも、ドラムに効果音的な楽器を加えたセッティングのことを、トラップドラムと呼ぶことがあります。
そして1920年代の後半。いよいよ、基本の3点の最後のピースが登場します。
【1920年代後半〜】ハイハットの誕生と名前の由来
1920年代後半、ようやくハイハットの原型が姿を現します。
始まりには、こんな話が伝わっています。
ニューオーリンズの名ドラマー、ベイビー・ドッズがミシシッピ川の船の上で演奏していたときのこと。観客の一人が、ドッズが左足で規則正しく床を踏んでいることに気づき、「この動きを何かに使えないか?」と考えた、というのです。

最初に作られたものは、手で叩けるほどの高さはなく、足で踏んで音を出すだけでした。シンバルも、今の14インチと比べるとかなり小さなものです。
この初期のハイハットには、いくつもの呼び名がありました。
- ローボーイ:低くてこぢんまりしているから
- ソックシンバル:足首で演奏するから
- スノーシュー:板に小さなシンバルを付けて足に固定した形が、雪の上を歩く道具に似ているから(日本でいう「かんじき」ですね)

では、このローボーイで何ができるようになったのか。実際の演奏で比べてみましょう。
それまで、2拍目と4拍目のアクセントをシンバルで鳴らすときは、手で叩くのが一般的でした。
▼ 演奏例:2・4拍目のアクセントを手でシンバルに
このシンバルのアクセントが、左足で演奏できるようになったんです。
▼ 演奏例:2・4拍目を左足で
手で押さえて止めたシンバルの音(チョーク)も、こんな踏み方で表現していました。
▼ 演奏例:チョークした音を足で表現
バスドラムのペダルのときと同じく、これでまた手が自由になったわけです。
それからほどなくして、「手でも叩けるようにしよう!」とスタンドが高くなります。そして1930年ごろには、今のハイハットに近い形に。
「ハイ(高い)」位置にある「ハット(帽子)」のようなシンバル。これが、ハイハットという名前の由来です。
▼ 演奏例:ハイハットでの演奏
こうして、バスドラム、スネア、ハイハットという「基本の3点」がそろいました。冒頭でお話しした「およそ100年」は、ここから数えた年月です。
まとめ|ドラムセットは「手を自由にする」発明の積み重ね
ドラムセットの歴史(前編)
- 1865年:南北戦争が終わり、軍の楽器が街に出回る
- 1890年代:一人で二つの太鼓を叩くダブルドラミング、ラグタイムの流行
- 1896年ごろ:チャンドラーが手作りのペダルで、足でバスドラムを鳴らすスタイルを広める
- 1900年代〜:ニューオーリンズでジャズが生まれ、ボールデンの「ビッグ・フォー」
- 1909年:ラディック社のバスドラムペダル
- 1913年:ハエたたきの特許。のちにブラシとして使われる
- 1917年:最初のジャズのレコード、ストーリーヴィルの閉鎖
- 1920年〜:禁酒法、シカゴでジャズが大流行、トラップドラムの時代
- 1920年代後半〜1930年ごろ:ローボーイからハイハットへ
今では当たり前のバスドラムのペダルも、ブラシも、ハイハットも、それぞれの時代のドラマーの「こうできたらいいのに」から生まれてきたものなんですね。
そして、そのほとんどに共通しているのが、手を自由にするという発想です。両手が自由になったからこそ、ドラマーはより多くの音を、より自由に組み合わせられるようになりました。
1929年、世界は未曾有の世界恐慌に包まれていきます。そこからドラムセットは、ビッグバンドの時代へ。その歩みは、後編でお話しします。
ドラムの歴史も、レッスンの引き出しに
KIZUKIドラム教室では、叩き方だけでなく、そのリズムがどこから来たのかといった背景もお伝えしながらレッスンを進めています。ルーツを知ると、同じビートでも叩き方が変わってきます。
KIZUKIドラム教室の特徴
- マンツーマンレッスン:一人ひとりの課題に合わせて進めます
- レッスンを録画してお渡し:ご自宅で見返しながら練習できます
- 無料の個人練習:レッスン1回ごとに、教室のドラムセットで個人練習ができます
参考文献・画像出典
- Smithsonian Folkways Magazine「The Birth of the Drum Set」
- National Park Service「Jazz Origins in New Orleans」
- 64 Parishes「Jazz Funerals and Second Line Parades」
- The Historic New Orleans Collection「Storyville」
- 画像:Library of Congress(南北戦争期の写真、「Maple Leaf Rag」楽譜、禁酒法時代の写真、William P. Gottlieb Collection)
- 画像:Wikimedia Commons(Olney drum pedal patent、Buddy Bolden band、ODJB postcard)
- 画像:Google Patents(US922706)、DATAMP(US1055998)
- 画像:Smithsonian Music(John Robichaux Orchestra)、New York Public Library(King Oliver’s Creole Jazz Band)
- 画像:A Cultural History of the Drumset、Vintage Drum Guide、Not So Modern Drummer、Vic Firth
